(カンボジア・プノンペンのトゥルースレン虐殺博物館。2018年4月。後述します)
あっという間に9月で、日本出発まで1ヶ月を切ってしまいました。
9冊の課題図書ですが、ついじっくり読んでしまったり、集中できなかったりしてまだまだ進まずにいます汗
今日は3月の大学卒業から今までにしていたことを参考(になるのでしょうか…)程度にお話ししようと思います。
大きく分けて
・旅(国内外)…本当に色々な所に行きました。お金が無いので海外は東南アジア各国を巡りました。
・インターン... 大使館にて週2、無給のインターン。英語も使えてとても楽しいです。
・ちょっと勉強…リサーチの方法論について日本語で勉強しました。母語でも分からないことだらけでびっくりしました。また、都内で行われている英語でのセミナーにも参加しました。
・ちょっとだけ就職について考える…中途半端に就職イベントに数回出席しました。また、既に就職している友人や先輩方からお話を伺ってました。
・ボランティア…宮城県・南三陸へのボランティアに参加しました。ボランティアというよりは、実際にはスタディツアーかな。悲しい記憶を抱えながらも毎日を生きているあたたかい人々との出会いがあり、貴重な経験をさせていただきました。
・バイト…人生で初めてマトモに飲食でバイトしました。人に恵まれてこれはこれでタメになる経験でした。
・人に会う…旅を通じたり、色んなところで昔からの友人に会いに行ったりしました。基本今後2年は会えない色んな人にばっかり会っていたので、毎回別れ際はちょっと寂しかったです。
・車の免許を取得…在学中に取れなかったので、渡航先で運転する可能性も考えて取りました。マニュアルです。が、イギリスでいきなり運転しろってなったら出来る自信はないかなあ。
・ホットヨガ…何か全くやったことがないことをして体を整えたかったので始めました。世界的に有名なビクラムヨガ、と呼ばれるホットヨガで、かなりストイックですが、気持ちが落ち着きます。
・留学準備…大学側から要求された必要書類の提出、奨学金の申請、調べ物、買い物などなど
…といったことをしていました。正直言うと、今振り返って、欲を言えばもっと色々やりたかったことは山ほどあったのですが、それでも割と忙しくしていたと思います。
大学生活を部活と勉強に費やし、一般的な大学生のように遊んだり旅したりバイトしたりという時間がなかなか作れていなかったので、この半年は(卒業してしまったのでもはやニートだけれども)割と大学生のような生活をしていたのかなと思います。そういう意味ではとても充実していました。今までの人生で一番遊んだ気がします。
この半年で一番のハイライトは旅でした。
国内に限らず3月は卒業旅行で、4月はインドネシア人の友人の結婚式などで東南アジアを旅しました。3、4月の旅はOxfordからの結果待ちだった私にとって、半分心が空っぽで出た旅でした。
とても楽しかったけど、こんなことしていていいのかな、とずっとどこかで違うことを考えてしまっていました。
それでも、一番得るものが多かったのが旅でした。国内外の美しい場所を訪れ、人とふれあい、色んな楽しい思い出ができたのももちろんですが、その一方で私の中でもう一つ「行かなければ行けない所を訪れる」というテーマがありました。
・広島の原爆資料館と原爆ドーム
・プノンペン(カンボジア)のキリングフィールドと虐殺博物館
・ホーチミン(ベトナム)の戦史博物館
・東北の被災地
この4つの場所で、その場所で起きたこと、その時に生きていた人々の物語に触れること、その背景にある政治の役割について自分なりに考えること、今思えばそれがこの半年で一番のテーマでした。
高校時代に長崎で被爆者の方のお話を伺い、非常に大きな衝撃を受け、それが国際関係学という分野を志すきっかけとなった私にとって、自国と世界の負の歴史を体感することは殆ど義務のようなもので、今回進学前にこうして時間をとって訪れることができたのは、私にとって意義のあることでした。
どれも重い経験でしたが、冒頭の写真に写る虐殺博物館は人生で最も嫌悪を感じた場所でした。
カンボジアでは1972-75の間に人口の約3分の1がポルポトの独裁政権下で虐殺されました。同じ民族間で普通に育ったはずの人がなんの罪もない人を拷問し、殺し続けました。(数字については記憶が正しければですが、間違っていたらすみません)当時全国各地で虐殺が行われ、キリングフィールドといういわゆる処刑場のような所には死体の山と悪臭が漂い続けました。
首都プノンペン近郊のキリングフィールドは最も大規模かつ整備された虐殺所の一つで、(というのも地方のキリングフィールドには今も地雷が埋まってたりするそうです)世界中から日々多くの人々が訪れます。ここは犠牲者の方々の「最終目的地」。ここまで生き延びて殺された方もいれば、なくなって運ばれてきて捨て去られた方もいらっしゃいます。今は当時の建物は跡形もなく消え、ご遺体が埋まっている区画が整備され、慰霊塔が設置され、穏やかな空気が流れていました。それでも衝撃的だったのは2畳ほどの空間に400名分の死体が遺棄されたという場所と、数えきれないほどの乳幼児の頭を(子供達の足を持って振り回すようにして)打ちつけて殺害した、ことによって脳みそと血にまみれたと言われる場所を目撃したことです。当時、カンボジアは非常に貧しく、従って処刑方法も原始的な武器を使った、非常に残酷なものでした。人々は、銃でひと思いに殺される方がよほどマシだと思われたことだと思います。
このキリングフィールドに連れて来られる前に人々が収容され、拷問され、時に殺されたのが現在博物館として当時のままの建物が残るトゥールスレンです。これはプノンペンの中にあり、踏み入れただけで体が凍るような異様な空気が流れていました。踏み入れただけであまりの狂気に私は混乱しました。音声ガイドとともにまわると、事細かに当時の様子が説明され、建物の中にずっといるのはあまりに辛かったため、中庭で休みながら3時間かけて見学しました。どちらの場所にしても、写真は自由に撮影して良いのですが、私には博物館の入り口以外、撮影する気にはなれませんでした。
それ程に衝撃でした。
日本の原爆ドームや資料館、東北の被災地にはまた異なる人々の人生があり、深い深い悲しみがありました。戦争にしても、自然災害にしても、国籍を問わず一つ一つの生と死に向き合った時に、そこに重い軽いは存在しません。それぞれの印象深い話を語り始めればきりがありませんが、そうしたことを考える時間を得たこの半年は、多かれ少なかれ成し得なかったことに後悔があったとしても、貴重な時間でした。
今後の渡航でも、色々現実と向き合う場面があるでしょうが、その度に、私がオックスフォードの志望理由書に書いた思いが失せないように、人の生きる喜びと悲しみに寄り添って学び続けられるように、この経験を一つの原点としたいと思います。
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